拘束の種類と概要
身体拘束: 直接本人の体を物理的に縛ったり固定する方法です。例えば、ベッドや車いすにベルトで固定する、ベッド柵で囲んで自力で降りられなくする、点滴やチューブを抜かないよう両手にミトン型手袋をはめる、といった行為が該当します 。これらはいずれも本人の意思や行動の自由を奪うため、法律上は原則禁止とされています(介護施設等では11項目の身体拘束が禁止対象) 。
環境的拘束: 周囲の環境を操作することで本人の行動を制限する方法です。代表的な例は居室のドアを施錠して出られないようにする行為です 。ベッドの高さを極端に低く設定し本人が自力で立ち上がれないようにする、専用のネットや囲いでベッドごと囲み外に出られなくする(いわゆる「テントベッド」)といった対応も広い意味で環境による拘束と言えます。見た目には「縛る」行為がなくても、結果的に行動の自由を奪っている場合は拘束とみなされます。
薬物による拘束: いわゆる薬物拘束で、鎮静剤や向精神薬を使用して無理やり大人しくさせたり、眠らせたりする方法です 。興奮や攻撃行動のある認知症の方に強力な睡眠薬や安定剤を投与し動けなくするケースがこれに当たります。しかし薬による過度の鎮静は転倒リスクを下げる代わりに意識レベルの低下や筋力低下を招き、重大な副作用も伴うため慎重な判断が必要です。薬物であっても本人の意思に反して行動を制限する目的で使われれば拘束の一種です 。
身体拘束が認知症の方に与える影響
認知症の方にとって、身体拘束は安全を確保する目的であっても深刻なデメリットを伴います。拘束による主な悪影響は以下の通りです。
• 身体機能の急激な低下: 動きを封じられることで筋力や体力が著しく低下し、関節が固まったり褥瘡(床ずれ)が発生しやすくなります 。食欲不振や心肺機能の低下、免疫力の低下も生じやすくなり、結果的に健康状態が急速に悪化する恐れがあります 。拘束具に絡まって転倒したり、最悪の場合は拘束具が首を締め付け窒息死を招く危険さえ指摘されています 。
• 精神的パニックや混乱: 縛られるという行為自体が認知症の方には強い恐怖やパニック反応を引き起こします。突然自由を奪われたことで見当識がさらに乱れ、錯乱状態(せん妄)に陥ったり暴れてしまうケースもあります 。拘束中は自分の意思を伝えられず不安が増大するため、かえって精神状態が不穏になり危険行為が増える「悪循環」に陥りがちです 。
• 心理的ストレスと症状の悪化: 拘束されている間、本人は強い屈辱感や怒り、諦めといった心理的苦痛を味わいます 。この極度のストレスは認知症状の更なる進行を招き、記憶や判断力の低下を早める可能性があります 。自尊心を傷つけられた状態が続くことで抑うつ的になったり、生きる意欲を失ってしまうことも考えられます。拘束は**認知症ケア本来の目標である「残存能力の維持・回復」**に逆行する行為であり、長期的に見てもQOL(生活の質)を大きく損ねる結果につながります。
実際の体験談:拘束による急変の悲劇
ある認知症高齢の女性(筆者の義母)のケースです。軽度の認知症があった義母は体調不良で病院に入院しました。入院中の検査を行う際に「安全のため」として一時的に身体をベッドに縛られました。しかし拘束後、義母は極度の混乱状態に陥り容体が急変。その日のうちに息を引き取ってしまったのです。医師から拘束の必要性について説明は受けていたものの、家族はそれが本人に与えるリスクまでは十分に理解できていませんでした。まさか拘束した当日に命を落とす結果になるとは思わず、家族にとって大きなショックと後悔が残りました。
このように拘束がきっかけで急死につながってしまうケースも現実に起こり得ます。実際、日本の病院では長時間の身体拘束によって深部静脈血栓症(エコノミークラス症候群)を発症し、肺塞栓で死亡した例も報告されています 。安全のための手段であるはずの拘束が、皮肉にも命を奪う結果を招く危険性をはらんでいることを忘れてはなりません。
家族が拘束の同意を求められたときに考えるべきこと
病院や介護施設から「転倒防止のため拘束させてください」などと同意を求められる場面では、家族として慎重に判断する必要があります。安易に「お願いします」と承諾してしまう前に、次の点をよく考えてみてください。
• 拘束の目的や方法を詳細に確認する。 なぜ拘束が必要と判断されたのか、その**目的(何を防ぐためか)**を明確に聞きましょう。同時に、具体的にどのような方法で拘束するのか(ベッド柵かベルトかミトンか、薬物投与か等)、拘束する時間の目安や監視体制も確認します。どの程度危険な状況なのか、拘束以外に手立ては本当にないのかを理解するために、遠慮せず細部まで質問してください。
• 代替手段がないかを医師・看護師に相談する。 本人の安全確保のために、拘束以外の方法で対応できないか尋ねてみましょう。たとえば付き添いを増やすことやベッド周りの保護(クッションやセンサー利用)で転倒リスクを下げられないか、点滴などを工夫できないか、といった代案を専門職と一緒に考えます。現場の人手や設備の事情もあるでしょうが、家族が提案することで拘束回避の可能性が広がる場合もあります。「どうしても拘束が必要」という説明を受けた場合でも、本当に他の選択肢が尽きた状況なのか改めて検討してもらうことが重要です 。
• 本人の尊厳と家族の意向を踏まえ慎重に決断する。 身体拘束は本人の人権に関わる重大な行為です。家族として「拘束はできる限り避けたい」「本人が望まないことはしたくない」という意向があるなら、遠慮せず医療者に伝えましょう。厚生労働省のガイドラインでも、拘束は命の危機が切迫し他に方法がなく一時的な場合に限り、家族も含めた関係者全員で慎重に検討・記録することが求められています 。そのようなケースは介護現場でも極めて稀であるとも報告されています 。拘束に同意するか迷ったときは「本当にそれほど危険な緊急事態なのか?」「拘束以外の方法で対処できないか?」「拘束することで本人の尊厳を損なわないか?」という視点を持ってください。周囲から説得されて心が揺らぐ場合も、最終的には家族が本人の代わりに下す大切な決断です。悔いのないよう、納得できるまで話し合いましょう。
拘束以外の選択肢
現場では、できる限り拘束せずに認知症の方の安全を守るため様々な工夫や取り組みが実践されています。家族として知っておきたい拘束に頼らないケアの方法には次のようなものがあります。
• 環境や設備の工夫による安全確保: 転倒・転落の危険がある場合は、ベッドの高さを低く調整し床に衝撃吸収マットを敷くことで、万一落ちても大怪我をしないようにできます 。ベッド柵にはクッションを巻いて体が挟まってしまうのを防ぐなどの対策も有効です 。点滴や胃ろうチューブを付けている方なら、管が本人の目につかない位置に固定したり衣類で覆ってしまう工夫が有効です (管が見えていると引き抜こうとするため)。居室から出て徘徊してしまう方には、部屋にチャイムやセンサーを設置し動きがあればスタッフが駆け付けられるようにしたり、危険な場所へ行かないよう家具の配置を工夫する方法もあります。物理的に鍵をかける以外にも、環境を調整してリスクを下げる工夫は数多く存在します。
• 人的なサポート体制の強化: 拘束を避ける一番の鍵は「人の目」です。危険が起きやすい時間帯(夜間やトイレに立つときなど)に見守りを強化するようスタッフの配置を工夫することが効果的とされています 。施設によっては夜間帯の巡回回数を増やしたり、ナースコールだけでなくセンサーで迅速に検知する仕組みを導入しているところもあります。ご家族が付き添える状況であれば、できる範囲で見守りに協力するのも良いでしょう。顔なじみの家族がそばにいるだけで安心感が生まれ、危険行動が減るケースもあります。地域の見守りボランティアや有料サービス(付き添いサービス)を利用できる場合は検討してみてください。人手をかけることは拘束に頼らないケアの基本です。
• 尊厳を守り安心感を与えるケア: 認知症の方本人の立場に立ち、「なぜその行動をするのか」を考えて対応することも拘束予防につながります。たとえば点滴を外そうとするのは痛みや不快感があるのかもしれません。トイレに行きたくてベッドから出ようとするのなら、トイレの誘導を増やすことで対応できます。興奮して暴れる背景には強い不安や孤独感があるのかもしれず、優しく声をかけ安心できるよう寄り添うことが大切です。音楽やアロマテラピーでリラックスしてもらう、手を握る・背中をさするなどスキンシップで落ち着いてもらう、好きな本や趣味の作業を用意して気を紛らわせる、といった方法も有効でしょう 。実際に、興味のある本を手渡したところ長時間集中して読みふけり落ち着いたケースも報告されています 。このように本人の尊厳や安心を第一に考えたケアを行えば、不必要に拘束しなくても安全を保てる可能性が高まります。本人に合った対応を根気強く探ることが、尊厳を守るケアの実践例と言えるでしょう。
まとめ
認知症の方に対する身体拘束は、一見安全を守るためのやむを得ない手段に思えるかもしれません。しかし、その影響は本人の心身に深刻なダメージを与え、最悪の場合命を縮める危険すらはらんでいます。家族はその事実を十分に理解し、安易な拘束に同意しない勇気を持つことが求められます。医療・介護従事者とよく話し合い、可能な限り他の方法で対応できないか模索してください。幸い現在、多くの現場で「身体拘束ゼロ」を目指す取り組みが進んでおり、創意工夫によって拘束なしでも安全と尊厳を両立できた実践例が増えつつあります。 大切な家族の尊厳を守り、その人らしい生活を続けられるよう、拘束に頼らないケアを選択することが何よりも重要です。
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