「隣人の声に気づいた日」――認知症介護の現実と、私たちにできること

ご近所さんとの何気ない立ち話から、思いがけず、胸が締めつけられるような話を伺いました。

「主人が認知症でね…」

表情は穏やかでも、その奥にある疲れと孤独がひしひしと伝わってくる――そんな瞬間でした。

今この記事を読んでくださっているあなたも、認知症のご家族を介護しながら、孤独や不安を感じているかもしれません。

今回は、私の身近で起こった2つの出来事から、介護の現実と、私たちにできる小さな支えについて考えてみたいと思います。


目次

ご近所さんの話(1)――「私ももうすぐ80なの」

ある日、近くのスーパーで会った奥さんから、突然声をかけられました。

「私ね、今とっても辛いの」

これまで挨拶程度しかしたことのなかった、物静かで上品な印象の方。その方が初めて、自分の状況を打ち明けてくれたのです。

「主人が認知症でね、暴力的になることがあって、警察も来たことがあるのよ…」

その語り口は涙こそ浮かべていませんでしたが、とても弱々しく、心の奥底から絞り出すような言葉でした。

「私ももうすぐ80歳。倒れてしまいそうよ」

旦那様は地域の仕事にも熱心で、誰からも頼られる誠実で優しい方。私の家族もこれまで何度もお世話になった方でした。だからこそ、その変化を想像すると、胸が痛みました。

奥さんはすでにケアマネジャーや地域包括支援センター、娘さんとも相談しながら、入所施設を探しているとのこと。

近くにいるからこそ、何か力になれたら――そう思わずにはいられませんでした。


ご近所さんの話(2)――「お父さんが認知症なの」

もう一人は、お隣に住む奥さん。庭仕事がとてもお好きで、四季折々の花を咲かせ、いつも家の前を美しく保っている方です。

先日、「いつも大きな声出してごめんなさい」と、申し訳なさそうに声をかけてくださいました。

「お父さんが認知症でね、この前外で転んで怪我をして、その時警察の方から指摘されて受診したの」

以前、救急車やパトカーが来ていた日がありました。あのときのことだったのか、と合点がいきました。

耳の遠いご主人に声が届かず、どうしても大声になってしまう毎日。「怒っているつもりじゃないけど、私も限界」とポツリと漏らされていました。

家事に庭に介護にと、黙々と働いている姿を見ていたからこそ、「どうか少しでもご自身の心と体を休める時間を」と願わずにいられませんでした。


認知症介護は「誰にも気づかれない」戦い

2人の奥さんに共通していたのは、「ギリギリまで頑張ってしまう」「誰にも迷惑をかけたくない」という姿勢でした。

介護をしていると、「家族だから頑張らないと」「弱音を吐いたらいけない」と思い込んでしまいがちです。けれど、それがどれほど心身を追い詰めるか…あなたも今、まさに感じているのではないでしょうか。


今、この記事を読んでいるあなたへ

認知症の親をひとりで介護しているあなた。日々のストレスや孤独、不安や怒り…それらすべてを胸の中で飲み込んでいませんか?

「人には迷惑をかけたくない」

「情けないと思われたくない」

そんな思いが強い人ほど、自分を追い詰めてしまいます。けれど、介護は一人では背負えないもの。周りの人と、少しでも言葉を交わすだけで、心がふっと軽くなることがあります。

声にならない思いを受け取ったとき、私の心も自然とその重さを感じていました。


私たちにできる小さな一歩

助け合いとは、大きなことをする必要はありません。

・「何かあったら声かけてくださいね」の一言

・買い物帰りにちょっと荷物を持ってあげる

・「大丈夫ですか?」とたずねる

ほんの些細な関わりでも、人の心には深く届きます。

そして何より、あなた自身がつらいときにも、そうした関係を持っておくことが支えになります。


おわりに

介護は、静かな戦いです。誰にも見えない場所で、今日もどこかで、誰かが踏ん張っています。

今この記事を読んでいるあなたも、きっとその一人。

どうか、無理をしすぎず、誰かに頼ることを恐れないでください。

あなたの心がふっと軽くなるきっかけに、この記事がなれたら嬉しく思います。


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