途絶えた声、思い続ける人たち

ある日を境に、毎日のように鳴っていた電話が、静かに止まりました。

母はそのことを、「どうしたのかしら」と心配していました。

それは、母が長年親しくしていた方からの電話でした。

日々のちょっとした出来事や、ふとした不安。

そんな何気ないことを話してくれるお友達で、母もその人との会話をとても大切にしていたようでした。

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小さな電話の向こうにあった安心

「今日は病院に行ってきたの」

「予定を忘れないように、カレンダーに書いたの」

「なんだか、何をしに行ったか忘れちゃって…」

そんな話を、母は静かに、「今日はあなた、検査に行ってきたんじゃないの?」と声をかけながら、不安な気持ちにもそっと耳を傾けていました。

受け取った言葉ひとつひとつに、その方の戸惑いや頑張りがにじんでいて、母もできる限りの気持ちで支えようとしていたのだと思います。

その方は、ご自分の変化に不安を感じながらも、日々を一生懸命生活していたのだと思います。

そして、母との何気ないやりとりが、その方にとってほんの少しでも安心や心の支えになっていたのなら、それは本当に意味のあるつながりだったのではないかと感じます。

静けさが伝える“変化”

そんなある日、母にとって印象的な電話がありました。

「私ね、まだ大丈夫だと思っていたの。でも、受け入れるしかないわよね」

そう、少し力のない声で話されたそうです。

その日から、電話が来なくなりました。

理由は何もわからない。ただ、かけてこないという事実だけが、ぽっかりと静けさを残していました。

受け入れるしかない──その言葉の奥にある想い

「受け入れるしかないわよね」

この一言が、私の心にもずっと残っています。

それはあきらめではなく、悲しみでもなく、

言葉にならないたくさんの想いを、どうにかひとことでまとめようとした、静かな覚悟だったのかもしれません。

自分の変化を誰よりもわかっていたその方は、

きっとどこかで「もう、前と同じではいられない」と気づいていたのでしょう。

そしてそれでも、つながりを大切にしながら、できる限りの日常を生きてこられたのだと思います。

まなざしの中にあるやさしさ

今も母は、その方のことをふと思い出しては、「どうしているかな」とつぶやきます。

もう連絡は来ないかもしれないけれど、あの人の気配は今も残っています。

それは、電話の声ではなく、

会話の中にあった想いや、微笑み、やさしさの記憶。

誰かを思い出すとき、人の表情はふとやわらかくなることがあります。

その優しいまなざしや、静かな時間の流れが“思い続ける”ということのかたちなのではないでしょうか。

そっと思い続けるという支え方

人は時に、つながりを断たざるを得ないときがあります。

言葉にできない気持ちを抱えたまま、距離を置くこともある。

それでも、忘れずに思ってくれている人がどこかにいるということは、

それだけで人の心を支えてくれるものです。

介護の現場でも、私は「帰りたい」と願う人たちの声をたくさん聞いてきました。

でもその願いが叶わない現実の中で、目に見えない優しさや、想いの力がどれほど大きいか、私は何度も教えられてきました。

だからきっと、あの方もどこかで、母との時間を思い出してくれているかもしれません。

たとえ電話が途絶えても、心の中では、まだそのつながりが息づいていると信じています。


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