娘が退院して数日たったころ、入院中のケアについてふと話題になりました。
詳しい場面を聞くつもりはなかったのですが、ぽつりぽつりとこぼれた言葉の端々に、“小さな配慮が積み重ならなかった”日々があったことを感じました。
私は介護の仕事をしています。だからこそ、「なんでそんな対応に…」と思う気持ちと、現場の大変さを知っているがゆえの複雑な感情が入り混じり、胸の奥がぎゅっと掴まれるような感覚になりました。
そして何より、娘自身がその一つひとつの「足りなさ」を口に出さず、どこか諦めていたことが、親としてとても苦しかったのです。
小さなこと──でも受ける側にとっては大きなこと
介護や看護のケアは、私たちの側から見ると“作業のひとつ”に見えてしまうことがあります。
けれど娘の話を聞いて思い知らされたのは、受ける側にとってはすべてが体に触れる行為であり、心に触れる行為だということです。
少し急がれただけで、不安。
声をかけてもらえないだけで、置いていかれたような感覚。
痛みのある身体を動かされるときの一瞬の恐怖。
それは本人でなければ気づけない“世界の揺れ”で、私も改めて、当たり前のようにこなしてきたケアの重さを思い返しました。
「大切に扱われている」と感じられるだけで、人は安心できる
娘は大きな不満を並べたわけではありません。
むしろ、あえて言葉にしなかった“飲み込んだ思い”の方が多かった気がします。
でもその沈黙の奥には、
「私って、この場で大事にされているのかな…」
という不安があったのだと思います。
介護を受ける立場になると、どうしても“委ねる側”になる。
動けない、痛い、思うように言えない──そういう状況にいるときほど、人は小さな言葉、小さな動作、小さな気づきに救われるのだと、娘の表情から強く感じました。
私たちはつい、“正しくケアすること”を重視しすぎてしまいます。
もちろんそれは大切です。でも同じくらい、
「あなたを大切に思っている」という姿勢を感じてもらうことが、ケアの質になるのだと思います。
介護職としての自分を振り返る──完璧ではないからこそ見えたもの
正直に言えば、私自身も職場で完璧なケアができているわけではありません。
忙しい時間帯、焦る気持ち、限られた人手──現場にはさまざまな制約があります。
でも今回、家族として感じたことは、
「どんな状況でも“寄り添おうとする姿勢”は伝わる」という事実でした。
それは、スピードでも、技術でもありません。
・一度目を合わせる
・ひと声かける
・動かす前に“今からこうしますね”と伝える
・痛みが強い日はゆっくり時間を取る
・不安そうな顔をしたら、その気持ちに気づく
そんな小さな積み重ねこそが、利用者さんの“安心”をつくっていくのだと、家族として体験した痛みが教えてくれました。
家族にとって「預ける」とは、心を預けること
入院や施設利用は、ただ身体のケアをお願いするだけではありません。
家族にとっては、
「大切な人の命を、その時間だけ託す」という行為でもあります。
だからこそ、丁寧に扱われている姿を見ると本当に安心できるし、
逆に、不安を感じるケアを見ると胸が締めつけられる。
今回の出来事を通して私は、
“丁寧に扱われている感覚”が、どれほど人の心身を支えるのか
を深く理解しました。
そして同時に、
「娘を通して、自分自身のケアの在り方を見つめ直す機会をもらった」と感じています。
今日からできる一歩──「目の前の人の世界に寄り添う」
介護は技術だけではなく、人と人が出会う時間です。
もし、忙しさで気持ちが張りつめそうになった瞬間があったら、
まずはひとつだけ、試してみませんか。
ケアに入る前のほんの数秒、その人の目を見て「よろしくお願いします」とひとこと添える。
それだけで、相手の世界は少しやわらぎ、
そして、自分の心も不思議と穏やかになります。
私自身、その数秒の重みを、娘が教えてくれました。
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