介護を一人で抱えないという選択|語る場所が人を支えてきた

家族のために懸命に動いていた人ほど、自分の苦しさを後回しにしてきたのかもしれません。誰にも分かってもらえない日々の中で、ただ「話せる場所」があったこと。その存在が、どれほど人を支えてきたのかを、母の歩みから静かに振り返ってみます。

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ひとりで背負うことが当たり前だった時代

私が小学生の頃、両親は青森から高齢の祖父と祖母を呼び寄せ、同居を始めました。

母は、祖父母との暮らしと、四人兄弟の育児を一人で担うことになります。

今よりもずっと、家事や介護は女性の役割と考えられていた時代。

男性が家庭のことを手伝うのは、決して当たり前ではありませんでした。父もまた、その空気の中にいた一人だったと思います。

祖父母の三度の食事の用意、通院の付き添い。

四人の子どもの世話に加え、父の通勤時間に合わせて駅まで送り迎えをする日々。

母は、それらを一つひとつ、休むことなくこなしていました。

今振り返ると、想像しただけで息が詰まるような毎日だったのではないかと思います。

少し外に出たい、ただそれだけの願い

母が強く願っていたのは、特別な自由ではありませんでした。

ほんの少しでいいから、祖父母と距離を置く時間。

家の外の空気を吸い、ひとりになる時間。

子どもたちが学校へ行っている間にできる仕事を探し、収入はわずかでも「仕事」を理由に外へ出る。

それは怠けでも逃げでもなく、心を守るための精一杯の選択だったのだと思います。

けれど当時、その苦しさを本当に理解できる人は、家族の中にはいませんでした。

「大変だね」と言われることすら、ほとんどなかった時代だったのです。

同じ立場の人と話せた、その時間

そんな中で母は、介護を担う人たちが集まる場に出会います。

そこで初めて、自分と同じ立場の人と話すことができたそうです。

説明しなくても伝わること。

言葉に詰まっても、待ってもらえること。

「それはつらかったね」と、否定せずに受け止めてもらえること。

その時間が、母にとってどれほど救いだったかは、今でもよく伝わってきます。

涙がこぼれる場所の意味

母は、何十年も経った今でも、その集まりに参加し続けています。

今度は、話を聞く側として。

初めて参加した人は、話しながら涙を流すことが多いそうです。

張りつめていたものが、ようやく緩む瞬間なのだと思います。

答えを出さなくていい。

立派なことを言わなくていい。

ただ話していい、ただ居ていい。

そんな場所が、人を長い時間支え続けてきたことを、母の姿が静かに教えてくれます。

受け継がれていく、静かな支え方

母は、何かを強く主張する人ではありません。

けれど、そこに居続けること。

誰かの話に耳を傾け続けること。

その姿勢そのものが、誰かの支えになってきたのだと思います。

介護もまた、人が人を支えながら生きている、その一場面なのかもしれません。

母の生き方は、そのことを言葉ではなく、時間をかけて示してくれました。


もし今、誰にも話せずに抱えている思いがあるなら、話せる場所を探すことも一つの選択です。

母のように、ただそこに居るだけで救われる人がいる。

今日まで、ここまで、本当によくやってきましたね。


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