最後の勤務を終えて少し時間が経ち、ふとした瞬間にいろいろな気持ちが浮かんできます。ほっとした安心感と、なぜか胸の奥に残る小さな寂しさ。その両方が同時にあることに、自分でも少し驚いています。
ほっとしたのに、少し寂しい理由
家庭のこと(娘たちのこと)と仕事を両立する日々の中で、気づかないうちに体力の限界に近づいていたのかもしれません。「このまま続けていくのは難しいかもしれない」と感じたことが、退職を考え始めたきっかけでした。
それでも、最後の勤務を終えたあとに残ったのは、安心感だけではありませんでした。
「もう無理をしなくていい」というほっとした気持ちと、
「もうあの場所には戻らないんだ」という、静かな寂しさ。
忙しさの中にあった日常や、人との関わりが、自分にとって大切なものだったことに、離れてから気づいたように思います。
働き続けている人のすごさに気づく
現場を離れてみて、あらためて感じるのは、今も働き続けている人たちの存在です。
日々の業務は決して楽ではなく、体力的にも精神的にも余裕があるとは言えない中で、それでも目の前の人に向き合い続けている。
きっと誰もが、それぞれの事情や思いを抱えながら、それでも踏ん張っているのだと思います。
その姿は、以前よりもずっと静かに、そして深く心に残るようになりました。
「支えている人」を支えるという視点
これまで私は、支えが必要な方に向き合う時間を多く過ごしてきました。
けれど今、少し見え方が変わってきています。
その背景には、必ず「支えている人」がいるということ。
そして、その人たちもまた、どこかで無理をしながら頑張っているということ。
自分自身もその一人だったからこそ、
これからは「支える側」を支える関わり方があってもいいのではないか、そう感じるようになりました。
癒すということ
これからのことを考えたとき、これまでとは少し違う人との関わり方があるのかもしれないと感じています。
体をゆるめること。
呼吸を整えること。
少しだけ力を抜ける時間を持つこと。
そうした時間があるだけで、人はほんの少し軽くなることがあります。
大きなことではなくてもいい。
ただ「少し楽になった」と感じられる時間。
忙しさや役割から少し離れて、自分に戻るような時間。
そういう時間の大切さを、今は静かに感じています。
立ち止まる時間も、大切にしていい
しばらくは、これからのことを急いで決めるのではなく、少し立ち止まってみようと思っています。
家庭のこと、大学のこと、これからの自分のこと。
一つひとつ、丁寧に向き合う時間。
これまで忙しさの中で後回しにしてきたことに、ゆっくり目を向ける時間でもあるのかもしれません。
ここまで走り続けてきた時間の中で、気づかないうちに無理を重ねていたこともあったかもしれません。
ほっとした気持ちも、少しの寂しさも、どちらも自然なもののように思います。
今は、無理に次を決めなくても、
少し立ち止まる時間があってもいいのかもしれません。
ゆっくりと整えていく中で、これからの進む方向が、少しずつ見えてくることもあります。
その流れに身を任せてみるのも、一つの選択かもしれません。
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