娘の入院から学んだこと:当たり前の日常の尊さを見つめて

「一時的な腰痛だろう」

最初は私も娘もそう思っていました。

でも、その日のうちに娘は全く動けなくなり、入院することになりました。

娘の痛みは、どう見ても普通の腰痛ではありませんでした。

「これはただの腰痛じゃない、何かおかしい」と感じて、救急車を呼びました。

検査の結果、腰椎の一部が欠損していることが分かり、

「原因は何だろう? 治るのだろうか?」

私の頭の中は不安と心配でいっぱいに。

夜中に到着した病院で、検査や入院の手続きを終えた後には、

付き添いも制限があるため、娘を病院に残して家へ戻るしかありませんでした。

心細かっただろうと思います。

急に動けなくなり、強い痛みの中で病院に運ばれ、

気がつけば一人で病室のベッドの上。

娘がどれだけ不安だっただろうかと思うと、

何もしてあげられない自分の無力さを感じました。

目次

「最悪だ」と届いたLINE

「ママ、先生から癌の可能性もあるから、

がんセンターへ転院するかもしれないって言われた。最悪だ。」

あのときの娘からのLINEを目にした時の感覚を、今でもはっきり思い出します。

身体に力が入らなくなったような感覚。

その夜はあまり眠れないまま、

「どうか大きな病気ではありませんように」と祈り続けました。

数日後、専門医の診断で「癌ではない可能性が高い」と分かり、

やっと張りつめていた糸が少しだけほどけた気がしました。

何気ない日常が、どれほど幸せなものか

大きな病気ではないと分かっても、

原因が完全に解明されたわけではありません。

ただ、娘は「これくらいで元に戻れるなら大丈夫」と受け入れ、

痛みと不自由を抱えながらも、気丈に前を向こうとしています。

普段なら、立ち上がるのも歩くのも、

私たちは当たり前のようにできています。

でも、その当たり前が突然奪われたとき、

日々の小さな動き一つ一つが、

どれだけ奇跡の連続だったかに気づかされます。

そばにいてくれる存在の大切さ

娘の姿を見て、私は改めて思いました。

「人は一人では生きられない」と。

どれだけ強くても、気丈に見えても、

誰かの声かけ、励まし、そっと寄り添う気持ちが

人を支えています。

大切な人の存在は、

失いかけて初めて、その輪郭がはっきりします。

だからこそ、まだ元気でいてくれる今、

「ありがとう」と伝えたい。

「そばにいるよ」と声をかけたい。

健康は『守るもの』

私は健康に自信がないわけではありません。

むしろ、だからこそ、

「健康は与えられるものではなく、自分で守るもの」

だと改めて感じています。

自分の体を大切にすることは、

大切な人との時間を大切にすることにもつながっています。

今日からできる小さな一歩を

大切な人がそばにいてくれる今、

「ありがとう」「大丈夫?」

そんな小さな言葉を惜しまずに伝えましょう。

そして、自分の体に「お疲れさま」と

深呼吸を一つしてあげてください。

何気ない毎日が、どれほどかけがえのないものか。

今回の出来事を通して、

私はまた一つ大事なことを胸に刻むことができました。

私と同じように、

大切な人を想うあなたの毎日が

どうか穏やかでありますように。


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