昨夜の夜勤で、ひとりの利用者さんを看取りました。
その方は、長く施設で過ごしてこられた方でしたが、弱り始めてからは本当にあっという間でした。
口の中に食べ物や飲み物をためるようになり、飲み込むことが難しくなってから、1週間も経っていなかったと思います。
20時頃から呼吸が苦しそうになり、0時過ぎには手足にチアノーゼが見られました。
そして0時半過ぎ、静かに息を引き取られました。
その場には、私たち職員がいました。
家族に連絡した夜
状態が変わり始めた頃、職員はご家族に連絡を入れました。
「もしかしたら最期になるかもしれない」
そう感じたからです。
けれど、ご家族の対応はすぐに動ける様子ではありませんでした。
夜中の連絡ということもあり、状況はスムーズには進みませんでした。
結果として、その方はご家族が到着する前に、私たち職員に見守られながら旅立たれました。
そのとき、正直な気持ちとして、
「どうして駆けつけてくれないのだろう」
という思いが心に浮かびました。
そして、
「ご本人がかわいそうだな」
そんな感情もありました。
ご家族に会って気づいたこと
亡くなられたあと、娘さんご夫妻が施設に来られました。
その姿を見て、私ははっとしました。
ご高齢であることは、記録で分かっていました。
それでも、お二人の姿を前にしたとき、私はあらためてその現実に気づかされました。
夜中の連絡を受けて、すぐに動くことが難しかったのも、無理はなかったのかもしれません。
体力的なこと、交通手段のこと、不安や戸惑い。
きっと、さまざまな事情があったのだと思います。
その姿を見たとき、
「なぜ来てくれなかったのか」
という気持ちは、自然と消えていきました。
代わりに、
「これもひとつの現実なんだな」
という思いが心に残りました。
看取りの形はひとつではない
介護に関わったことのない方ほど、
「最期は家族に見守られて旅立つもの」
という理想的な場面を思い描くことがあるかもしれません。
けれど、現実にはさまざまな事情があります。
家族も高齢であること。
夜中の移動が難しいこと。
遠方に住んでいること。
体調や仕事、家庭の事情。
どれも、決して珍しいことではありません。
看取りの形は、ひとつではないのだと思います。
家族が間に合わないこともある。
施設の職員が最期を見送ることもある。
それもまた、その人の人生の一場面なのかもしれません。
それぞれの事情の中にある看取り
看取りの場面では、
「もっとこうしてあげられたのではないか」
「間に合わなかったことが心に残る」
そんな思いを抱えるご家族も少なくありません。
けれど、その背景にはそれぞれの事情があります。
家族の年齢や体力、距離、時間、生活の状況。
どれも、その人たちの現実の中にあるものです。
その夜、私は一瞬、
「なぜ来てくれなかったのだろう」
と感じました。
けれど、ご家族の姿を見たとき、
そこには責める理由など何もないことに気づきました。
ただ、それぞれの立場で、
それぞれの精一杯があっただけなのだと思います。
看取りには、正解も不正解もありません。
それぞれの人に、それぞれの形があります。
そのことを、あらためて教えてもらった夜でした。
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