最期の時間に、そばにいられてよかった

ある夜勤の日、ターミナルケアを受けていた利用者様との時間が、私の中で大きな意味を持ちました。

その方はとても小柄で、どこかお人形のように可愛らしい印象の女性でした。

しばらく前から、もう口から食べることができなくなり、食事や水分の摂取を拒否されるようになっていました。口をぎゅっと閉じて、薬もなかなか飲んでくれません。介護スタッフとして、無理にでも一口、という思いも正直ありましたが、内心では「かわいそうだな…」と感じていました。

やがて医師の判断で、経口からの摂取をすべて中止し、点滴による対応が始まりました。それでも、おむつ交換や移乗の際には「やだな、やだな」と言いながら強く抵抗されることもありました。

正直なところ、医療スタッフからも「今すぐという状況ではない」という意見があり、私たちもまだ「その時」がすぐに来るとは思っていませんでした。

下顎呼吸とサチュレーション

私が休憩から戻ったのは深夜3時半。

一緒に勤務していたスタッフが、「2時の巡視の時、口呼吸でした」と伝えてくれました。私はその後の申し送りを受けた後、その方の部屋を訪ねました。

すると、明らかに**下顎呼吸(かがくこきゅう)**と思われる状態でした。

下顎呼吸とは、呼吸の力が弱まり、口をパクパクと下顎だけが上下するように動く呼吸のことです。これは、一般的に死期が近いことを示すサインの一つとされています。

他の利用者様の様子を確認した後、もう一度その方の部屋へ行きました。

ほんの15分程度の間に、呼吸の様子がさらに弱くなっているのが分かりました。

私はもう一人の介護スタッフを呼び、**サチュレーション(血中酸素濃度)**を測定しました。

サチュレーションとは、身体にどれだけ酸素が取り込まれているかを示す値で、指先にセンサーをつけて測定します。

この時点で数値は非常に低く、指先にはうっすらとチアノーゼが見られました。

そうしているうちにナースが休憩から戻ってきたので、状況を報告し、私たち3人でその方の様子を見守っている中で、静かに呼吸が止まりました。

その後、心電図で確認を行い、4時半、完全にフラットな状態となりました。

介護スタッフとして、できたこと

夜勤が終わり、現場を離れて落ち着いた今、思うのです。

「あの時、もう一度見に行ってよかった」

「最期の時間を3人で見守れたことが、本当に良かった」

私たちがその方の生を止めることはできません。でも、静かな時間の中で一人きりではなかったこと。

何か言葉を交わすことができなくても、“あなたの存在は大切だった”とそばで伝えることができた、それがせめてもの役割だったのだと思います。

家族との話し合いの大切さ

今回の利用者様は、ご家族とも事前に「どこまで医療介入を行うか」や「看取りの対応」について話し合いがされていました。

だからこそ、私たちスタッフもその意思を尊重しながら、自然な形でその時を迎えることができたのです。

施設に入所されている場合でも、いざという時に慌てないように、

「どこで最期を迎えたいか」「延命は望むか」「どんなふうに見送ってほしいか」

を、少しずつでも話題にしておくことはとても大切だと、改めて感じました。

別れに寄り添うということ

命の最期に立ち会うというのは、やはり特別なことです。

怖いと感じる方もいるかもしれません。けれど、それは大切な人との静かな対話の時間でもあります。

家族として、介護者として、できることは限られています。

でも、そばにいること。手を握ること。話しかけること。

それだけでも、きっと届いていると信じたいのです。


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