「ありがとう」がつなぐ心:96歳の願いが叶った日

施設で働いていると、日々さまざまなご利用者様と出会います。

その中には、心に深い思いを抱えながら過ごしている方もいます。

「こんな思いをするくらいなら、死んだほうがましだ」

「なんでここにいるのかわからない。訳がわからない」

「家に帰りたい、少しの時間でもいいから…見てきたい」

ある96歳の女性の方は、入所された1年ほど前から、そうした言葉を何度も繰り返してきました。

毎日の生活の中で、職員も心を寄せながらできる限りの声かけや関わりを続けてきましたが、その言葉の重さが私たちにも深く響いていました。

目次

本当に叶えたかった「帰りたい」の気持ち

その方の「帰りたい」は、ただのわがままではなく、

本当に一度、自分の家を見に行きたいという切実な思いでした。

ある日、施設の職員と相談のうえで、ご本人の願いを叶える機会をつくることができました。

施設から車で30分ほど離れたご自宅へ、職員が付き添っての外出です。

少し緊張した面持ちで車に乗り込んだその方でしたが、

自宅の近くまで来ると、急に目が潤んできたのを今でも覚えています。

そして、玄関先で待っていたお嫁さんの顔を見た瞬間、

その方は「お母さんだ!」と嬉しそうに声をあげました。

その後、ご自宅の部屋でご家族と話しているとき、

その方は静かに手を合わせ、何度も「ありがとう、ありがとう」と繰り返されました。

苦労を乗り越えた先の「ありがとう」

お嫁さんもまた、手を合わせ返しながら「こちらこそ、ありがとう」と涙ぐんでいました。

「入所前は大変だった。正直、精神的にも限界だったこともあった」

そうおっしゃっていました。

認知症による混乱や不安定な精神状態、介護の重圧…

お互いに辛い時期があったのは間違いありません。

けれど、この日この場所で交わされた「ありがとう」は、

そのすべてを包み込むような、やわらかな空気をまとっていました。

「気持ち」が伝わる時間の尊さ

帰りの車の中、ご本人は穏やかな表情でこうつぶやきました。

「見られてよかった、また頑張れそう」

その言葉を聞いて、付き添った私たち職員も胸が熱くなりました。

日々、「帰りたい」「ここにいたくない」と訴える言葉には、

“過去の自分”や“大切な人との記憶”が強く結びついていることがあります。

現実的に毎回帰宅を叶えることは難しいかもしれません。

でも、その人の「想い」に丁寧に耳を傾け、できる形で寄り添うこと。

それが、介護の現場でできる最大のケアのひとつなのかもしれない──

そんなことを、改めて感じた一日でした。

今日からできる小さな一歩

もしかすると、日々の介護の中で「また同じことを言ってる」と思ってしまう瞬間があるかもしれません。

でも、その言葉の裏には、誰にも気づかれない「想い」が眠っていることがあります。

今日から少しだけ、そんな気持ちに寄り添ってみませんか?

「ありがとう」と伝えることで、関係が少しだけ変わるかもしれません。

介護は、大変で、時に理不尽で、報われないこともあります。

それでも、こうした一つひとつの出会いや時間が、心を温めてくれるのです。


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