介護をしていると、自分でも思っていなかったような気持ちが出てくることがあります。
イライラしたり、優しくできなかったり、何もしたくなくなったり。
そんな自分に気づいて、「私って、こんな人だったかな」と戸惑うこともあるかもしれません。
「こんな自分だったかな」と思うことがある
家族のことは大切にしたい。
できることなら、穏やかに接したい。
そう思っているのに、同じことを何度も聞かれて、つい強い口調になってしまったり、頼まれたことに「今は無理」と思ってしまったりする。
そんなことが続くと、介護そのものだけでなく、自分自身に疲れてしまうことがあります。
「もっと優しくできたはずなのに」
「どうして、あんな言い方をしてしまったんだろう」
家族に向けた言葉や態度を、あとになって思い返してしまうこともあるでしょう。
けれど、介護が始まる前と今とでは、毎日の暮らしそのものが違っています。
自分の時間に家族の予定が入り、夜中に起きることがあったり、これからのことを考えたり。
目には見えなくても、心の中にはいろいろなことが積み重なっているのかもしれません。
変わったのは、自分だけではなく暮らしなのかもしれない
「以前の自分なら、もう少し優しくできたのに」
そう思うことがあるかもしれません。
でも、自分の性格が変わってしまったと考える前に、少しだけ周りを見てみると、以前とは違うものがたくさんあることに気づきます。
家族の体調を気にすること。
病院や介護サービスの予定を考えること。
何かあったときに連絡が来るかもしれないと思いながら過ごすこと。
そして、これから先のこと。
一つひとつは小さなことでも、それが毎日の暮らしの中にずっとあると、知らないうちに気持ちの余裕が少なくなることがあります。
そんな中で出てきたイライラや疲れも、今の暮らしの中で生まれている気持ちなのかもしれません。
介護という、それまでとは少し違う暮らしの中にいる自分。
そう考えるだけでも、自分を見る目が少し変わることがあるように思います。
できなかったことより、今日を過ごしたことを見る
介護をしていると、できなかったことのほうが心に残りやすいものです。
優しくできなかった。
食事をきちんと用意できなかった。
話をゆっくり聞けなかった。
けれど、その一日の中には、それ以外の時間もあったはずです。
薬を忘れないように声をかけたこと。
転ばないようにそっと見ていたこと。
食べられるものを用意したこと。
特別なことをしていなくても、家族のことを気にかけながら一日を過ごしていたこと。
できなかったことばかりに目が向いたときには、「今日も一日過ごした」と、それくらいに考えてみてもいいのかもしれません。
介護にも、家族との関わりにも、毎日同じようにできない日があって自然なのだと思います。
「介護をしている自分」だけにならないために
家族の介護が生活の中に入ってくると、いつの間にか一日の多くを家族のことを考えて過ごすようになることがあります。
けれど、介護をしている自分も、それ以前から続いている一人の人です。
好きな音楽があったり、飲みたいコーヒーがあったり、読みたい本があったり。
犬との散歩や、庭の花を見る時間が好きな人もいるでしょう。
ほんの短い時間でも、介護とは関係のないことに気持ちが向く瞬間があると、「自分の暮らしもここにある」と思えることがあります。
誰かに話してみることも、その一つかもしれません。
答えを出してもらわなくても、ただ「今日はこんなことがあった」と話すだけで、自分の中にあった気持ちに気づくことがあります。
家族を大切にすることと、自分の時間を持つことは、どちらか一つを選ぶものではないのだと思います。
介護をしている時間も自分の暮らし。
そして、介護から少し離れている時間も、自分の暮らしです。
「こんな自分だったかな」と思う日があっても、そんな日もあるのだと思えたら、少し気持ちが楽になるかもしれません。
今日、少し疲れていたのかもしれない。
いろいろなことが重なっていたのかもしれない。
そんなふうに、自分の気持ちを少し離れたところから眺めてみる。
それだけでも十分な日があるように思います。
家族のことを考える時間の中に、自分のことを考える時間もほんの少し残しておく。
それもまた、介護のある暮らしを過ごしていくために、大切なことなのかもしれません。


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