15年後の私を、少し想像してみた

最近、ブログを書けなくなっていました。

仕事を辞めてから、ほとんど更新していません。

書きたいことがなかったわけではありません。

むしろ仕事を辞めてから、これからの働き方のこと、家族のこと、お金のこと、大学で学んでいること、ケアマネの試験のことなど、考えることは以前より増えたような気がします。

それなのに、ブログには書けませんでした。

なぜだろう、と考えてみると、私はどこかで「介護の記事を書かなければ」と思っていたのかもしれません。

ブログを始めたころ、テーマを決めて、どんな人に読んでもらいたいのかを考え、その人が知りたいことや悩んでいることを意識して記事を書くといい、と学びました。

だから「これはブログに書くことなのかな」と、いつの間にか自分の中で書くことを選別するようになっていました。

でも最近、少し考え方が変わりました。

もっと自由に書いてもいいのではないかと思うようになりました。

自分がそのとき考えていたことや、感じていたこと。

迷ったこと。

何かを始めてみようと思ったこと。

そんなものを残しておく場所でもいいのではないか。

そして何年か先に、それが思いがけない何かにつながったら、それも面白い。

今はそんなふうに思っています。

目次

一度、立ち止まってみた半年間

仕事を辞めてから、半年ほどが経ちました。

辞めると決めたときには、もちろん迷いもありました。

それまでずっといた場所から一度離れることには、不安もありました。

けれど今振り返ってみると、この半年は、私にとってとても意味のある時間だったと思っています。

実家の両親がしていた愛犬モコの介護を手伝ったこと。

娘の出産に付き添い、赤ちゃんが生まれてからの生活を手伝ったこと。

以前病気をした長女とも、いろいろなことを話し、一緒に考える時間がありました。

もちろん、穏やかなことばかりではありませんでした。

家族の中で揉め事が起きたり、どうしたらいいのか分からない問題に直面したりしたこともあります。

でも今振り返ると、その一つひとつに、私はかなり丁寧に向き合うことができたように思います。

時間があったから、話を聞くことができた。

すぐに答えを出さずに考えることもできた。

必要なときには、そばにいることもできました。

そして家族のことだけではありません。

自分自身について考える時間も増えました。

これからどう働きたいのか。

何を学びたいのか。

これからの時間やお金を、何のために使いたいのか。

仕事をしていたころには、目の前のことをこなすだけで一日が終わってしまい、ここまでゆっくり考えることはできなかったように思います。

収入という面だけを見れば、仕事を続けていたほうがよかったのかもしれません。

それでも私は、この半年を「働いていなかった半年」とはあまり思っていません。

一度それまでいた場所から離れて、立ち止まってみた半年。

考えることができた。

学ぶことができた。

そして、大切な人や大切なことに、きちんと思いを向けることができた。

それは私にとって、お金には変えられない、とても貴重な時間でした。

もちろん、誰もが仕事を離れたり、立ち止まったりできるわけではないと思います。

仕事や介護、子育て、家族のことに追われて、立ち止まりたくても立ち止まれない時期もあります。

私自身も、これから先ずっと今のように時間を使えるとは限りません。

だからこれは、「こうしたほうがいい」という話ではありません。

ただ私の場合は、一度立ち止まったことで、それまでとは少し違うものが見えるようになりました。

2040年、私は66歳になる

そんなことを考えていたころ、AIのこれからについて語られている講演を目にする機会がありました。

そこで語られていたのは、AIがこれからどこまで進化していくのか、そして2040年ごろの世界がどんなふうに変わっているのかという話でした。

その話を聞きながら、私はふと、

「では、15年後の私はどうしているんだろう」

と考えました。

私は今51歳です。

15年後なら66歳。

以前だったら、60代というと、仕事を終えて老後を過ごしている自分を想像していたかもしれません。

でも今は、少し違います。

まだ何かを学んでいる自分でいたい。

生活のためだけに働くのではなく、自分の経験や知識を使って誰かの役に立ち、それを自分自身の喜びにできるような仕事を少ししていたい。

旅行にも行きたい。

家も気持ちよく暮らせるようにしておきたい。

元気に動けるうちに、いろいろな場所へ行き、いろいろなものを見ておきたい。

子どもたちにも、ある程度のものは残したい。

残された、時間やお金をこれからの人生のためにどう使っていくのかも考えたいと思うようになりました。

お金にも、時間にも「使いどき」がある

最近、「Die With Zero」という考え方に惹かれているのも、そのためかもしれません。

その中で、今の私に特に響いているのは、お金には、それを使うのにちょうどいい「時」があるのではないか、という考え方です。

元気に歩けるうちに、行きたい場所へ行く。

学びたいと思ったときに学ぶ。

毎日を気持ちよく過ごせるように、住まいを整える。

健康のために使う。

そして、家族と一緒に過ごせる時間を大切にする。

もちろん、将来への備えも必要ですし、子どもたちに残したい気持ちもあります。

それも含めて、これからの人生全体を、自分たちらしく最適化していきたい。

今の私は、そんなふうに考えています。

そして、この半年を振り返ると、大切なのはお金をどう使うかだけではないのだと思います。

時間をどう使うかも、同じくらい大切です。

働く時間。

家族と過ごす時間。

学ぶ時間。

自分のために使う時間。

何もしないで、ゆっくり考える時間。

どれか一つだけを大切にするのではなく、その時々の自分や家族に合わせて、限りのある時間をどう使うのか。

それも、これから考えていきたいことの一つです。

仕事を辞めたこの半年を経験したからこそ、15年後に振り返ったとき、自分は何を後悔するだろう、と考えるようになりました。

もっと仕事をしておけばよかったことではないような気がします。

仕事に追われて、大切な人と過ごせる時間を持てなかったこと。

何かが起きていることに気づきながら、そこに十分に思いを向けられなかったこと。

きっと、そういうことのほうを私は後悔するのだと思います。

これまで積み重ねてきたものを、これからは旅行や学び、健康、住まい、家族との時間、そしてまだ知らない新しい経験にも生かしていく。

同じように、自分の時間も、本当に大切だと思うものに少しずつ使っていく。

それは「今を楽しめればいい」ということとも、少し違います。

これから先の安心も大切にしながら、今だからできることも大切にする。

その間のちょうどいいところを、自分たちなりに探していく。

私にとって「Die With Zero」という考え方は、そんなふうに、これからの人生全体をどう使っていくのかを考えるきっかけになっているように思います。

15年後の自分に向かって

2040年に何をしているのか、今の私には分かりません。

だから、今の時点で「私は将来これをする」と無理に決めなくてもいいと思っています。

ただ、

「66歳の私は、どんな人でいたい?」

という大きなイメージは持っていたい。

時間にも、お金にも必要以上に追われない。

学ぶことをやめない。

元気にいろいろなところへ行く。

自分たちが築いてきたものを、これからの人生を豊かにするために生かしていく。

そして、大切な人に何かがあったときには、できるだけそこに思いを向けられる自分でいたい。

そんな66歳になれたらいいなと思っています。

15年後のことを考えたからといって、明日から何か大きなことを始めるわけではありません。

結局、できることは今日の積み重ねです。

今の私なら、まず10月のケアマネ試験。

試験が終わったら、研修を受けて実際にケアマネとして働いてみたいと思っています。

大学の勉強も続けます。

旅行にも行きたいし、家も気持ちよく保ちたい。

そして、このブログにも、その途中で考えたことを残していきたいと思います。

15年後の自分を考えてみると、お金や時間の使い方だけではなく、

「これから何を学び、どんなふうに自分の力を広げていきたいのか」

ということも気になってきました。

そのことを考えるとき、今の私には切り離せない存在があります。

AIです。

私にとってAIは、もうずいぶん前から、何かを教えてもらうためだけのものではなくなっています。

そのことは、また次の記事で書いてみたいと思います。


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