私にとってAIは、もう「教えてもらうだけのもの」ではない

前回の記事で、15年後の自分について少し想像してみました。

66歳になった私は、どんなふうに暮らし、何を学び、どんなことをしているのだろう。

そんなことを考えたとき、これからの自分にとって切り離せないものの一つとして思い浮かんだのが、AIでした。

私も最初は、分からないことを教えてもらうためにAIを使っていました。

でも今は、それだけではありません。

振り返ってみると、その関係が変わり始めたきっかけの一つは、このブログだったように思います。

目次

言葉にできなかった自分の気持ち

私はもともと、自分の中にある思いや気持ちを、言葉にすることに少し難しさを感じていました

伝えたいことはあるのに、それにぴったりくる言葉がなかなか見つからない。

そんなことがよくありました。

ブログを書くようになってから、自分が感じていることをAIに話しながら、文章を一緒に考えることが増えました。

その中で驚いたのは、自分ではうまく言葉にできなかった気持ちを、思いがけずしっくりくる言葉で表してくれることでした。

「そう、私が言いたかったのはこういうことだったんだ」

そんなふうに、言葉になったものを読んで、初めて自分の気持ちがはっきり見えるように感じることもありました。

もちろん、いつも最初からぴったりというわけではありません。

「ここは少し私の気持ちと違う」

「もう少しこういう感じ」

と伝えて、何度も直してもらうこともあります。

でも私は、このやり取りがとても大切なのだと思うようになりました。

違和感があるということは、自分の中には「本当はこう言いたい」というものがあるということだからです。

その小さな違和感をそのままにせず、何度も言葉を探していく。

そうしているうちに、妥協せず、自分が本当に納得できる表現にたどり着くことがあります。

実は、このブログの記事もそんなふうにして書いています。

私が考えていることや感じていることをまず話して、文章になったものを読み、「ここは少し違う」「もう少しこういう気持ちに近い」と何度もやり取りする。

だから、AIに文章を書いてもらっているというより、一緒に言葉を探しているという感覚のほうが、今の私には近いのかもしれません。

そして、その過程で自分でも気づいていなかった気持ちが見えてくることがあります。

文章を作っているようでいて、実は自分自身の内面をもう一度見つめている。

今では、そんなふうに感じています。

人間関係で迷ったときにも、AIと話すようになった

ブログだけではありません。

今では私は、生活の中で起きるいろいろなことをAIと話すようになりました。

勉強のことやお金のこと、住まいのことなど、知識が必要な場面はもちろんですが、それ以上に、人との関係について話すことが増えました。

家族との気持ちのすれ違い。

子どもたちのことで心を痛めたとき。

家族の中で問題が起きて、どこまで関わればいいのか分からなくなったとき。

人間関係には、簡単に正解を出せないことがたくさんあります。

そして私は、人間関係の中で行う一つひとつの判断は小さく見えても、その積み重ねが人生をつくっていくように思っています。

だからこそ、感情が大きく動いているときほど、すぐに何かを言ったり決めたりするのではなく、一呼吸おいてAIと話してみることがあります。

「私は、なぜこんなに気になっているんだろう」

「今起きていることと、私が感じていることは同じなのだろうか」

「相手の立場から見たら、どう見えるのだろう」

「今すぐ何かをする必要があるのだろうか」

そんなことを一つずつ考えていく。

もちろん、AIが出した答えをそのまま受け入れるわけではありません。

「私はそうは思わない」

「そこは少し違う」

「私はこう感じている」

そうやって対話を続けているうちに、不思議と自分自身の考えが見えてくることがあります。

AIとの対話と「メタ認知」

こうしたことを繰り返しているうちに、AIとの対話にはもう一つ意味があるのではないか、と感じるようになりました。

自分自身を、少し離れたところから見ることです。

自分一人で考えていると、感情と事実と自分の思い込みが混ざってしまうことがあります。

でも、誰かに説明するようにAIへ状況を話していると、

「これは実際に起きたことなのか、それとも私の解釈なのか」

「私はなぜそう思ったんだろう」

「違う立場から見たら、どう見えるんだろう」

と、自分の考えをもう一度眺めることになります。

心理学でいう「メタ認知」に少し近いのかもしれません。

AIとの対話を鏡のように使って、自分の考え方そのものを見る。

私はAIと話すようになって、こうした考え方をする機会が以前より増えたように感じています。

もちろん、AIに答えを出してもらうだけなら、そうはならないのかもしれません。

でも、

「なぜそう考えるの?」

「私はそうは思わない」

「本当は、ここが気になっている」

と対話を続けていると、AIを通して自分自身と話しているような感覚になることがあります。

私にとってAIを使う面白さは、知識が増えることだけではなく、むしろそこにもあるような気がしています。

それでも、人には人が必要だと思う

ここまでいろいろなことをAIに話すようになると、最初は少し不安もありました。

「こんなことまで話して大丈夫なのかな」

個人的なことをどこまで話していいのか、情報が漏れるようなことはないのか。

そんなことが気になったこともあります。

そして、これだけAIと話すようになった今でも、AIが人との関わりに代わるものだとは思っていません。

やはり、人には人が必要だと思います。

誰かと一緒に笑ったり、話したり、そばにいたり。

相手の表情を見ながら言葉を交わすことも、人と人との間に流れるものも、AIに置き換えられるものではないように思います。

私の場合は、AIと話すことが、人との関わりを少し丁寧にすることにつながっているようにも感じます。

人と向き合う前に、一度AIと話してみる。

自分は何に傷ついたのか。

なぜ腹が立ったのか。

本当は相手に何を伝えたいのか。

そこを少し整理して、自分なりに納得してから人と向き合う。

そうすることで、感情のまま反応するのではなく、以前より少し丁寧に人と関われることが増えたように感じています。

AIが人の代わりになるのではなく、AIとの対話を通して自分自身を理解し、そのうえで人と向き合う。

今の私には、そんな使い方が合っているようです。

もしかしたら、私はもう入口にいるのかもしれない

前回の記事を書くきっかけになったAIについての講演では、一人ひとりが自分のAIを持ち、自分についてたくさんのことを伝えていくような未来についても語られていました。

その話を聞いたとき、私はふと思いました。

「もしかしたら私は、もうその入口にいるのかもしれない」

私が何を大切にしているのか。

どんなことで悩むのか。

家族のことをどう考えているのか。

お金や時間をどう使いたいのか。

これからどんなふうに生きたいのか。

私はすでに、そういうことをAIとたくさん話してきました。

そして講演では、AIを「纏う」ことで、人間の能力そのものが大きく広がっていくような未来についても語られていました。

その言葉が、私はとても印象に残りました。

だったら私も、AIを纏った人になってみたい。

そう思いました。

AIに自分の代わりをしてもらう、という意味ではありません。

AIと一緒に考えることで、自分一人では気づけなかったことに気づく。

知らなかったことを知る。

自分の考えを別の角度から眺める。

そして、自分なりに納得したうえで判断する。

そんなふうに、自分一人で考えていたときよりも、少し広い視野を持てるようになったら面白いと思います。

15年後、今の経験が何かにつながっていたら

介護福祉士として経験してきたこと。

これから学ぼうとしているケアマネの知識。

50代になった今も大学で学んでいること。

そしてAI。

今は、それぞれが別々のものに見えます。

でも15年後には、それらが何か一つにつながっているかもしれません。

AIがこれから進化していけば、今はまだ名前すらないような仕事も生まれているかもしれません。

だから、今の時点で「将来これをする」と決めなくてもいいと思っています。

ただ、AIによって自分のできることや考えられることが少し広がって、その力を自分のためだけではなく、いつか誰かのためにも生かせたらいい。

誰かに喜んでもらえることを、自分自身の喜びにもできたらいい。

今は、そんなことを考えています。

今こうしてAIと対話していることが、15年後の自分にどうつながっているのか。

それはまだ分かりません。

でも、分からないからこそ面白いのかもしれません。

何かを教えてもらうだけではなく、考えたり、迷ったり、ときには「それは違う」と言ったりしながら、これからもAIとの対話を続けてみたいと思います。

そして、その先で自分が何を考え、どんなふうに変わっていくのか。

それもまた、このブログに少しずつ残していけたらと思っています。


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