「どうして何度も同じことを聞くのだろう」
「さっき話したばかりなのに……」
認知症の家族と過ごしていると、分かっているつもりでも、ついイライラしてしまうことがあります。
大切な人だからこそ穏やかに接したい。でも、家族だからこそ難しいこともある。そんな気持ちについて、少し考えてみたいと思います。
家族だからこそ、「どうして」と思ってしまう
同じことを何度も聞かれたり、説明したことを忘れてしまったり。
認知症について知識として理解していても、毎日の生活の中では「また?」と思ってしまうことがあります。
たとえば、食事をしたばかりなのに「まだ食べていない」と言われたとき。
「さっき食べたでしょう」
そう言いたくなるのは、ごく自然なことではないでしょうか。
介護をしている側にも、その日の体調や気分があります。仕事や家事を抱えていることもあります。
いつでも穏やかに受け止められるわけではありません。
そして、相手が知らない人ではなく、自分にとって大切な家族だからこそ、「以前はこんな人ではなかったのに」と戸惑うこともあるのだと思います。
イライラしてしまう気持ちの奥には、怒りだけではなく、寂しさや心配、これからへの不安など、いくつもの感情が重なっているのかもしれません。
正すことより、安心できることを大切にしてみる
「まだご飯を食べていない」
そう言われたとき、事実としては「もう食べた」が正しいこともあります。
だから、つい訂正したくなります。
けれど、認知症によってその記憶が残っていなければ、本人にとっては「食べていない」という感覚のほうが現実なのかもしれません。
そんなとき、
「さっき食べたでしょう」と正すこともあれば、
「お腹が空いたの?」と聞いてみることもある。
その日の状況によって、いろいろな関わり方があっていいのだと思います。
私自身、介護の仕事をする中でも、正しいことを伝えることと、その人が安心できることは、必ずしも同じではないと感じる場面がありました。
家族となれば、なおさら簡単ではありません。
「否定してはいけない」と考えるよりも、
「今、この人はどんな気持ちなのだろう」
ほんの少し、そこに目を向けられるだけでも、やり取りが変わることがあるのかもしれません。
少し離れることも、関わり方のひとつ
家族の介護では、「自分が見なければ」と思うことがあります。
周囲に迷惑をかけたくない。家族のことを人に知られたくない。できるところまでは自分でやりたい。
そんな気持ちになることもあるでしょう。
でも、ずっと近くにいるからこそ、疲れてしまうこともあります。
少し別の部屋へ行く。
誰かに話を聞いてもらう。
ときには家族以外の人に任せる。
そうやって距離を取ることも、家族を大切にすることと反対ではないように思います。
むしろ、少し離れたことで気持ちが戻り、また穏やかに向き合えることもあります。
介護は、いつも一人で抱えていなければならないものではありません。
誰かの手を借りることも、その家族なりの介護の形なのだと思います。
昔の姿を知っているからこそ
認知症になった家族を見ながら、
「昔はしっかりしていたのに」
「こんなことを言う人ではなかった」
と思うこともあるかもしれません。
長く一緒に過ごしてきた人ほど、その変化を受け止めるのには時間がかかります。
頭では病気による変化だと分かっていても、気持ちはすぐには追いつかないものです。
昔の姿を知っているからこそ、寂しくなる。
それもまた、家族だからこその感情なのだと思います。
無理に「受け入れなければ」と思わなくてもいいのかもしれません。
以前のその人を覚えていることも、今のその人と過ごすことも、どちらも家族の時間です。
その間で気持ちが揺れる日があっても、不思議なことではないと思います。
認知症の家族にイライラしてしまったとき、「もっと優しくしなければ」と自分に言い聞かせるほど、苦しくなることがあります。
そんな日は、少し離れてみてもいい。
そして気持ちに余裕があるときには、
「今、この人にはどう見えているのだろう」
と考えてみる。
それでもいいのではないでしょうか。
家族だからこそ、いつも穏やかではいられません。
近い関係だから難しいことがある。そのことを忘れずにいるだけでも、自分にも家族にも、少しやさしい関わり方につながっていくのかもしれません。
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