認知症の「物を盗られた」という訴え|あの頃の義母を今振り返ると

「物がなくなった」「誰かに盗られた」

義母がそんなことを言うようになった頃、私たちはそれが認知症の症状かもしれないとは考えていませんでした。

家族だからこそ言葉に傷つき、ぶつかってしまったこともあります。今になって振り返ると、あの頃の義母の姿が少し違って見えてきます。

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「物がなくなった」と家族を疑うようになった義母

今思えば、義母に変化が見られるようになったのは、60代の早い頃からだったように思います。

それまでは、夫の実家へ家族で遊びに行くことも珍しくありませんでした。

ところが少しずつ、義母の言動に変化が見られるようになりました。

「物がなくなった」

そう繰り返し訴え、家族を疑うようになったのです。

幼かった子どもたちにまで「何かしたんじゃないか」と疑いの目を向けることもありました。

物が見つからなければ、「盗まれた」と決めつけ、私や夫を泥棒呼ばわりすることもありました。

今なら、認知症で見られることのある「物盗られ妄想」と呼ばれる症状だったのかもしれないと思えます。

けれど当時の私たちは、そんなことを知る由もありませんでした。

単に義母の性格が変わってしまったのだろうか。

何か不満があるのだろうか。

そんなふうに受け止めていました。

「昔はこんな人じゃなかった」と苦しんだ家族

なかでも苦しんでいたのは、息子である夫だったように思います。

「昔はこんな人じゃなかった」

そう言って、母親の変化をなかなか受け止めることができずにいました。

私自身も、身に覚えのないことで疑われたり、傷つく言葉を言われたりすれば、いつも冷静でいられたわけではありません。

義母の言葉に傷つき、感情的にぶつかることも増えていきました。

義母には義母なりに、「本当に物を盗られた」という感覚があったのかもしれません。

けれど、そのことが分からなかった私たちは、

「そんなことしていない」

「どうしてそんなことを言うの」

と、事実を分かってもらおうとしていました。

どちらかが悪かったというより、お互いに分かり合えないまま、少しずつ関係が苦しくなっていったように思います。

やがて義母のもとを訪れる回数も減り、長い間、距離を置くことになりました。

あの頃から始まっていたのかもしれない

その後、時間が経ち、私自身も介護の仕事を経験しました。

認知症について知る機会が増えるにつれ、時々、昔の義母のことを思い出すようになりました。

「あの頃から、認知症が始まっていたのかもしれない」

そう考えるようになったのです。

認知症というと、もの忘れが目立つようになることを最初に思い浮かべるかもしれません。

けれど、その現れ方は人によってさまざまです。

疑い深くなったり、それまでとは違う言動が見られたりすることもあります。

家族にとって難しいのは、それが「その人の性格」なのか、「何らかの変化」なのか、身近にいるからこそ気づきにくいことがあるということです。

私たちも、まさにそうでした。

義母の言葉を認知症の症状としてではなく、「自分たちに向けられた言葉」として受け止めていました。

だから傷つきましたし、腹が立つこともありました。

今振り返れば、義母自身もまた、自分の中で起きている変化に戸惑い、不安を抱えていたのかもしれません。

もう一度、義母と向き合うことになって

義母はその後、実家で義兄と暮らしていました。

けれど、その義兄が膵臓がんを患い、義母より先に亡くなりました。

それをきっかけに、私たち家族はもう一度、義母のこれからを考えることになりました。

この頃には、私たちも義母の認知症について理解するようになっていました。

家族の近くで安心して過ごせる場所を探し、施設で暮らしてもらうことを決めました。

かつては関係がこじれ、距離を置いていた義母。

それでも時間が経ち、認知症について知ることで、以前とは少し違う気持ちで義母と関われるようになっていたように思います。

過去の関係がすべて元に戻ったわけではありません。

それでも、「なぜあんなことを言ったのだろう」という気持ちは、「あの頃、義母にはどんなふうに見えていたのだろう」という気持ちへ、少しずつ変わっていきました。

今だから思えること

認知症について知った今でも、当時の私たちがもっと穏やかに対応できたはずだ、と簡単には言えません。

家族から身に覚えのないことで疑われれば、傷つくのは自然なことです。

まして、それが認知症によるものだと分からなければ、相手の言葉をそのまま受け止めてしまうこともあるでしょう。

ただ、身近な人に「以前とは少し違う」と感じる変化が続いたとき、それを性格だけの問題と考えず、

「何か理由があるのかもしれない」

と少しだけ見方を変えることはできるのかもしれません。

私たちは義母との関係を通して、ずいぶん後になってからそのことに気づきました。

あの頃の義母の気持ちを、今になって確かめることはできません。

けれど、認知症について知るようになったことで、かつて理解できなかった義母の姿を、少し違うところから見られるようになった気がしています。

そして同時に、あの頃うまく対応できなかった自分たちのことも、今は少し違う目で振り返っています。

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